珠洲市の倒さスギと八百比丘尼

石川県珠洲市(いしかわけんすずし)

「倒さスギ(さかさすぎ)」

県指定天然記念物
樹齢:700年~900年
樹高約12m。幹周約6.74m。
枝の広がり30m。

珠洲市の倒さスギ
珠洲市の倒さスギ(2017年8月撮影©MY)

出発

皆様こんにちは。

今回は能登半島珠洲(すず)市の倒さスギ(さかさすぎ)に注目したいと思います。杉というと、なんとなく林のようにまとまって生えている杉林をイメージしてしまうのですが、石川県珠洲市の倒さスギは、そんなイメージを覆してくれる独特の風景の中に私たちを連れて行ってくれます。
では出発!

独特の風景と形

倒さ杉遠景
倒さスギ遠景(2017年8月撮影©KY)

この倒さスギ、田んぼの真ん中にあるんですよ。目立ちますよね!

説明版によると樹齢は約850年だそうで、ネットで見つかる情報では700年~900年とばらつきがありますが、鎌倉時代から存在していたと考えるだけで、その歴史の長さに圧倒されます。

幹回り約6.74メートル、高さ12メートル、そしてなんと枝の広がりが30メートルにもなるそうです。もしかすると上に伸びずに下の方に広がっていったからこそ、この枝ぶりになったのかもしれないですね。

なぜ「倒さスギ」?

「さかさ」の漢字が「逆さ」でなく、「倒さ」になっているので、最初は読み方がわかりませんでした。それと、この木を実際に見ても、なぜ「さかさ」なのか全くわからない私。

説明版によると「すべての枝が下方に垂れ、地面につくものものある。こうした樹形はまことに珍しくみごとであり、この名の由来があると思われる」。

実際は、上の方の枝は普通に伸びているように見えますが、地面を這うように伸びている枝から力強さや雄大さを感じます。自然が作り上げたひとつの芸術作品。

周辺の広々とした田園風景と枝の広がりが非常にバランスよくマッチしていて、清々しい気持ちになります。

実は他にもある逆さ杉

倒さ杉といった名がついている木は他にもあるのかと思って調べてみたところ、逆さ杉と呼ばれるスギは全国に何本もあることがわかりました。例えば栃木県の塩原八幡宮境内にある逆さ杉。これは樹齢が1500年と更に古い木ですが、ネットで公開されている写真では地面に這うような枝はないようですが、2本並んで根元がひとつになっていて「夫婦杉」とも呼ばれています。

福島県玉川村にある川辺八幡神社の逆さ杉も樹齢1000年という古木。栃木県の塩原八幡宮の逆さ杉と同様、高く伸びているので、一口に「逆さ杉」と言ってもいろいろな形があり、それぞれに個性があります。

珠洲市の倒さスギにまつわる伝説

珠洲市の倒さスギには、八百比丘尼が昼食に使った杉箸を地面に刺したものが大きくなったという言い伝えがあります。

八百比丘尼ですが、読み方は「やおびくに」と「はっぴゃくびくに」の2通りあるようですね。

珠洲市役所のサイトからの引用です:

「この杉の周辺は、かつて高照寺の境内で、中世の頃は、七堂伽藍を擁した霊場であったという。それにまつわる伝説がある。若狭の八百比丘尼(はっぴゃくびくに)が能登行脚の途中、眼病を患ったので、高照寺の薬師如来に祈願をし、千万遍の念仏を唱えることで、病は快癒した。境内でお昼を食べ、杉の箸を地面に刺したところ、枝葉が伸びだしたが、刺した方向が逆さまだったので、逆さに生えてしまったのだという。」(CC BY珠洲市役所)

八百比丘尼についての伝説は土地によって違いはあるものの、人魚の肉だと知らずに食べてしまった娘(または妻)が、ずっと若い姿のまま(不老不死)になってしまったことに苦しみ、諸国行脚の旅に出て人々を助けた、という話は多くの伝承で共通しているようです。故郷の若狭(福井県)に戻り洞穴に入って亡くなったとのことで、福井県小浜市には八百比丘尼の入定洞(にゅうじょうどう)があることがわかりました。

長野県戸隠神社の三本杉にまつわる言い伝えは、人魚の肉を食べたことと八百比丘という名前は共通していますが、登場人物や木の発生の仕方が異なります。この伝説での八百比丘は、主人公の漁師が出家してからの名前で、八百比丘尼という女性は登場しません。

いろいろ調べているうちに、比丘(びく)と比丘尼(びくに)というのは、戒名や法名と呼ばれる出家後の個人名ではなく(例えば僧なら空海、尼僧なら天璋院)、比丘は僧、比丘尼は尼僧のことだとわかりました。八百比丘尼の場合だと、八百が個人名ということでしょうか?白比丘尼という名前で紹介されている場合もありますが、それならなぜ八百と白になってしまったのか謎が残ります。

それにしてもなぜ伝説で人魚の肉なのか・・・人魚と言えば、私は小川未明の童話『赤い蝋燭と人魚』に親しんでいたので、八百比丘尼の伝説で人魚が肉として食されてしまう存在としてのみ登場させられてしまっているところに驚愕しました。。。

さて、この伝説にもある高照寺(高勝寺という表記もある)に関しては、高野山真言宗であること以外の情報はほとんど見つからず、八百比丘尼が祈願したとされる薬師如来のことなどはわかりませんでした。

倒さスギは境内の外にあり、地面に伸びた杉の枝の近くに小さな祠はありますが、私などは近くにお寺があることさえ気がつかなったぐらいです。ただ、杉の近くにあった石碑から少しだけ情報を得ることができました。

倒さ杉の石碑
倒さ杉の石碑(2017年8月撮影©KY)

江戸時代の記録

この石碑は、文章全部は読みとれないのですので、倒さスギの近くの石碑ということで検索してみたところ、珠洲市の市議会だより(平成29年11月1日発行No.6)に写真とともに説明がありました。

それによると、この石碑は太田道兼の歌碑で、歌は「三輪ならで ここにもありや一本の 杉のみどりの志るしさかえて」だそうです。

三輪というのは、神の山として信仰されている奈良県の三輪山のことで、杉や松などの大木があり、特に杉は神聖なものとして考えられているそうです。

太田道兼は江戸中期・田沼意次時代の官吏で、諱(いみな)を頼資といい、『能登名跡誌』の著者(著者名は太田頼資の方で記録されている)だそうで、その抜粋から、高照寺は七堂伽藍の大きなお寺であったこと、その当時から倒さスギは一本杉であったこと、そして八百比丘尼(原文では八百比丘尼ではなく百比丘尼)の箸の伝説が伝わっていたこともわかりました。『能登名跡誌』は、1931年と1970年にも出版されたようで、専門家の間ではよく知られた本なのかもしれません。

ちなみに歌碑の設置は1988年(昭和63年)とのことです。

杉について

さて、杉と言うと、とても身近にあって、どこでも見かけるような気がしますが、杉を見ないで思い出してみようとすると、私の場合は、漠然としか頭に浮かびません。比較的イメージしやすいのが、スギ花粉が飛んでいる様子とか・・・

スギは日本固有の樹木で、地域によって様々な品種(地域品種)に分類されているようです。例えば屋久島の屋久杉は、本やテレビなどで写真や画像を見たことがありますよね。驚いたことに、杉は日本で一番高く成長する木で、大きいものは50メートル以上になるそうです。そして樹齢2000年から3000年までとされる杉が全国各地にあるそうなんです。

加工しやすく成長も早いことから、木材としての杉の利用が始まったのは縄文時代にまで遡るそうで、建築材から船や酒樽まで幅広く日本の生活に使われてきたんですね。

この加工のしやすさですが、のこぎりも無かったような時代でも、木目に沿って割ることができたからなんだそうです。なるほど!

ところで杉はまっすぐだというイメージがありますよね。まっすぐな「直(す)ぐ木」ということから「スギ」と呼ばれるようになったという説明をいろいろなサイトで見かけました。

こうした杉の一般的な特徴からすると、「倒さスギ」は意表を突く場所に1本だけで、しかも独特の形で、本当に特異な存在です。

箸の材料

八百比丘尼は杉で作られた箸を地面に刺したのですが、箸の材料になる木の種類は杉が多いのでしょうか?

八百比丘尼の言い伝えは鎌倉時代から室町時代にかけて広がったと考えられているようです。

一方、箸が7世紀に遣隋使によって中国から日本に伝えられ、一般に普及していったのは、平安後期から鎌倉時代にかけてとされているので、八百比丘尼の時代には箸が日本人の生活に浸透していたと言えます。特に、鎌倉時代には、箸と併用されていた匙が使われなくなり、箸だけを用いるようになったという点も興味深いですね。

素材に関しては、箸が伝えられた当初は竹が主流であり、木製の場合は、竹以外では、ひのき、柳、松、萩などが使われ、杉は吉野の後醍醐天皇(14世紀)が献上された杉箸を喜んだという言い伝えがあり、ちょうど八百比丘尼の伝説が広まった頃にあたります。

調べていくと、八百比丘尼だけでなく、高僧や歴史上の人物が使った箸を地面に立てたところ大木になったという言い伝えはいくつもあり、それは「箸立て伝説」と呼ばれていることがわかりました。

箸立て伝説とは?

なぜ箸を地面に立てるのでしょうか?箸に使った人の魂が乗りうつると考えられ、使用した後で折って捨てている習慣があったことや、もともと箸は祭礼に使われ、神とつながりをもつものであったことなど、地面に立てることで神の依り代としたのではないかと考えられるようです。

八百比丘尼の場合は、眼病が治るように高勝寺の薬師如来への祈願したいうことになっています。柳田国男の『日本の伝説』の中に「御箸成長」という見出しがあり、全国で知られている「箸立て伝説」を伝えているほか、お祭りの祈りに木の串または枝を土にさす習慣があったことや、新しい箸をけずって祭りの食事を神と共にする習慣があったという説明もあります。つまり、お弁当の箸とは言っても、神仏と食事した時に使った箸に祈りを込めて地面に箸を立てたとも考えられます。

『日本の伝説』の中では、八百比丘尼は白比丘尼という名前で紹介されていますが、それによると、珠洲の逆さ杉だけでなく、白比丘尼は諸国巡りで杖や椿の小枝をさしてそれが大木になったものがいくつもあるとのことで、その他の情報からも、八百比丘尼の伝説は非常に多くのパターンがあり、植樹によるものもたくさんあることがわかりました。八百比丘尼は特に白椿を好んだとされています。

地面に這うような形

日本海側に分布する杉はウラスギ、太平洋側に分布する杉はオモテスギとして区分され、遺伝的にも異なるものだそうです。また、ウラスギは雪の重みによって枝がたわみ、地面に付いた部分から根が出て株になる(伏条更新)ことがあるとのことで、この特徴を持つものとして、富山県入善市の杉沢の沢スギが知られています。珠洲市の倒さスギの枝の中には、完全に地面に接している部分もありますが、そこから根が出ているようには見えませんでしたし、新しい株ではなく、あくまでも枝のまま地面に近いところでくねくね曲がっているとしか言いようがありません。枝が下に向かって曲がった理由は何でしょうか?枝の太さからすると、雪の重みによるものとは思えないのですが・・・不思議な現象、水田が描く海原のような広々とした場所にポツンと見える船か島のような姿、八百比丘尼の伝説と言い、そこだけ非日常の時間が流れているかのようです。

旅のアイデア

珠洲に行くなら「見附島(別名:軍艦島)」もおすすめスポットです。倒さスギも独特の景観を作り出していますが、この見附島も一度見たら忘れられない風景のひとつになること間違いなしです。

見附島
見附島(軍艦島)(2017年8月撮影©KY)

今回の旅を振り返って

倒さスギにまつわる伝説から、木にまつわる伝説は非常に多種多様で、それは世界中に見られる人間と木との関係であることがわかりました。人間の木に対する想像力とはなんと豊かなことでしょうか。木は、草花のように四季の移り変わりによって咲いたり枯れたりせず、たとえ落葉樹であっても一年を通じて、そして長い年月を経ても風景の中にいつも存在しているもので、人間にとって一番身近に感じられる植物なのかもしれませんね。

木を見るということは、その木を見た昔の人々も、その木を見るであろう未来の人々とも何かつながっているような気がしてきます。

この記事を読んでいただいてどうもありがとうございました。

主な出典(順不同)(本文内に入れたものは省略してあります):

ええやん!若狭の國・若狭おばま観光協会
戸隠神社
日本植物生理学会-みんなのひろば-植物Q&A
にゅうぜんマニア・入善町観光物産協会
農林水産省-特集2お箸のはなし(1)
すず観光ナビネット
とちぎ旅ネット-逆杉
福島民報~年輪刻んで~ふくしまの名木
石川県-倒スギ
ふくいドットコム-八百比丘尼入定洞
三輪明神大神(おおみわ)神社-三輪山
みんなの趣味の園芸NHK出版-スギ
森林・林業学習館
樹木図鑑
材木育種センター『材木遺伝資源情報第10号-5(2006.9)』(PDF)
木材博物館
柳田国男『日本の伝説』(青空文庫)
藤原繁『箸の文化と割箸の歴史地理:奈良吉野下市の割箸を主として』(PDF)
九頭見和夫『日本の「人魚」伝説-「八百比丘尼伝説」を中心として-』(PDF)
向井由紀子、橋本慶子、長谷川千鶴『わが国における食事用の二本箸の起源と割箸について』(国立国会図書館デジタルコレクション、ファイル名:ART0001973969.pdf)

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