「お宮の松」に見る熱海の今昔と将来

静岡県熱海市(しずおかけんあたみし)

「お宮の松」

お宮の松
熱海のお宮の松(2016年2月撮影©MY)

出発

皆様こんにちは。

だんだん木々の芽が膨らんできたように見えるこの頃です。

父から送ってもらった写真の中には、弥彦の蛸ケヤキを超えられる落葉樹のものがなかったので、撮影時期が1月から3月までという基準にして選んだのが「熱海のお宮の松」の写真です。

『お正月の門松』でも書いたように松は常緑樹なので落葉しないですが、枝の形を鑑賞できる木ですよね。

さて、今回はどんな旅になることでしょうか。出発!

 

どうして「お宮の松」という名前が?

ネットで調べれば理由はすぐにわかりますが、まず、お宮というのは明治時代の尾崎紅葉(おざきこうよう)の小説『金色夜叉(こんじきやしゃ)』のヒロインの名前です。物語の中で、主人公である寛一(かんいち)との別れのシーンの舞台が熱海海岸なのだそうです。

この小説のために松を植えたわけではなく、小説ができる以前に松があり、美しいことから「羽衣の松」と呼ばれていたのだそうです。

金色夜叉の人気とともに舞台となった熱海が有名になり、「金色夜叉の碑」が「羽衣の松」の近くに作られたりして、次第に「お宮の松」と呼ばれるようになったとのことです。

美しいことから「羽衣の松」と呼ばれると言われても、羽衣というものが何であるかよくわかりません。「羽衣の松」という名で有名なのは、同じ静岡県内の「三保(みほ)の松原」ですが、これについてはまた別の機会に調べてみようと思います。

現在の松は2代目で、初代の松は、江戸時代に老中の松平信綱(まつだいらのぶつな)が植えさせた松の1本と言われているそうです。松平信綱は伊豆守(いずのかみ)という官位を与えられていて、「知恵伊豆」とも呼ばれ、伊豆巡視の際にこの地に松を植えさせたとのことです。

「金色夜叉の碑」は、尾崎紅葉を師とする小栗風葉(おぐりふうよう)の金色夜叉の句が書かれたもので、お宮の松の近くには、初代お宮の松の切り株、館野弘青(たてのこうせい)作「貫一お宮の像」もあります。この像は、熱海海岸で貫一がお宮を足蹴にする有名なシーンが再現されたものです。

貫一お宮の像
熱海市フォトライブラリーより-貫一お宮の像

金色夜叉の碑
紅葉山人記念・金色夜叉の碑
(2016年2月撮影©MY)

と言っても、私は『金色夜叉』という題名とこの名場面ぐらいしか知らなかったので、近年この足蹴シーンの像に対して様々な意見が出されて、説明版が加えられたりすることによって、小説を知るきっかけになっていいのではないでしょうか。

先日古い外国映画を観ていたら、エレベーターの中でタバコを吸っているシーンがあって驚きましたが、生活スタイルや社会の価値観の移り変わりってこんなものですよね。

尾崎紅葉の金色夜叉は未完だったので、小栗風葉が続編として「後の金色夜叉」という小説を書いたそうですし、金色夜叉は歌も作られ、何度も舞台化や映画化されて、長く人々に親しまれてきたということがわかりました。

ところで夜叉ってなんでしょうか?

もともとはインドの半神半鬼で、仏教では仏法を守る八部衆(8対1組の神)の1柱だそうですが、金色夜叉ではそうした仏法を守る神という意味では使われていないようです。これ以上の情報は簡単には見つかりそうもなかったので、夜叉についてはこのくらいにして、他に気になる点から「お宮の松」の旅を続けることにします。

 

初代のお宮の松について

松が2代目になったのは、初代の松が、キティ台風によるダメージや、車の衝突、排気ガスなどによって枯れてきたからだそうです。

キティ台風:1949年に関東地方に上陸し大災害を引き起こした。

1958年(昭和33年)に撮影された写真を見ると、初代は道路の真ん中にあり、両側にバスや車が走っているという、まさに交通事故の危険と排気ガスに常にさらされている状態です。

初代のお宮の松があった場所に記念プレートが埋められていますが、道路の真ん中ですから写真を撮るのも大変ではないでしょうか?

初代お宮の松は、展示されている切り株のほかに、1968年に貫一とお宮を模したこけしが作られました。現存するのは13対で(全部で何対作られたかは情報なし)、2014年に、1対がそれまで所有していた小学校から熱海の起雲閣(きうんかく)に寄贈されたそうです。

2代目登場の話は、熱海市のホームページに詳しく書かれています。

 

2代目お宮の松にまつわる話が面白い

熱海市のホームページで閲覧できるのは、2代目が植えられて2年目の1968年に「東海民報」に10回連載された記事です。

熱海市ホームページ『新 お宮の松誕生記』

2代目の松を見つけるまでの苦労や、盛大に行われた植樹祭(誕生祭)の記念行事の様子など、いろいろなエピソードが、筆者のユーモアあふれる文体で生き生きと伝えられていますので、是非読んでみてくださいね。

私が特に注目した点のひとつは、2代目が計画されたときに、初代お宮の松を擬人化して、2代目の登場を人々に知らせるという演出方法です。筆者はこれを「松に独白させた」と呼んでいますが、こういった方法だと、より一層お宮の松に親しみを覚えますよね。

もうひとつは、お宮の松の両脇に植えられたという木の話です。最初に2代目お宮の松の候補になった松は輸送の難しさから断念されたのですが、同じ敷地にあった桜を筆者がとても気に入ったことから、その桜だけでなく梅まで一緒に寄付してもらえて、2代目お宮の松の両脇に植えたのだそうです。しかもそれだけではありません。お宮の松には「添え松」も欲しいとのことで、「添え松」1本も植えられたのです。このエピソードも面白いですよ。

ただ、この桜(寒緋桜のようです)、梅、添え松は今はお宮の松の近くにないようですが、どうなのでしょうか?「お宮の松」がある場所は、平成13年(2001年)3月に土壌改良と排水工事等が完了して現在のようになったそうで、これ以前に撮影されたと思われる写真では、貫一・お宮の像が松の向かって左側にある(現在は向かって右側)ので、この工事の時に移転されたのかもしれないですね。

また、初代お宮の松には「のこ入れ式」が執り行われて、お経があげられ、2代目の根の下に、初代の枝と『金色夜叉』の初版が埋められたそうです。植樹祭がお披露目式というだけでなく、初代と2代目の2本の松に対する人々の敬意が込められた式典だったんですね。

あれこれネットで調べているうちに見つかった情報と写真によると、2代目お宮の松も20年ほど前に衰弱が目立つようになったらしく、世代交代の時と同様の「独白」形式で、その状況を人々に知らせる看板が立ったようです。

 

「お宮の松」はクロマツ

「お宮の松」の名前の由来や、木の歴史については、今まで書いたように情報が入手しやすいのですが、樹木としての情報が見つからず困っていたところ、説明版の画像を見つけました。この説明版によると種類はクロマツです。

初代のお宮の松の樹齢が300年以上、2代目の最初の候補となった松の樹齢も300年ぐらいとのことですが、2代目は2001年に約95年となっていますから、2018年で約112年ですね。ちなみに、2代目は、当時の熱海ホテル庭園内にあったものだそうです。

 

クロマツと海岸の松林

『お正月の門松』でアカマツは山林に、クロマツは海岸沿いに多いということを知ったのですが、では、なぜクロマツは海辺でよく生育するのでしょうか?

調べていくうちに、クロマツは海岸でよく生育するという考え方よりも、クロマツは海岸の条件に適した木であることから、日本ではクロマツが海岸に植えられてきたという歴史に注目すべきだということがわかりました。

防風林や砂防林として、防災の機能が果たせる木として、日本の海岸に植えられてきたのです。

でも、クロマツの自生林がなかったわけではありません。クロマツはもともと海岸部に自生していたと考えられており、皇居前に約2000本あるクロマツは、植栽によって今のような風景になっていますが、江戸城ができる前は一帯が入り江になっていて、そこにクロマツが自生していたのだそうです。

海岸部に自生している木ということでクロマツが植栽のために選ばれたのかというと、そうでもないようです。

財団法人日本緑化センターの『日本の松原物語-海岸林の過去・現在・未来を考える』(平成21年8月)には、江戸時代の海岸砂防植栽の全国的な実施状況が一覧表で紹介されていますが、それを見ると、松以外にも、杉、雑木、柳、ネムノキ、グミなども植栽されたことがわかります。

この一覧表には、植栽を企画・実施した人の名前と職業も記載されています。藩の命令によるものだけでなく、個人で実現したものも数多く、自費を投じて実施したケースや、植栽の方法を工夫して松林造成の成功に至った経緯など、貴重な記録もあります。

クロマツ以外では、ネムノキとアキグミを除いては成功例がほとんどないため、最終的にクロマツが植栽する木として一般化していったことが明らかにされています。

松原の植栽の歴史からすると、日本書紀にも植栽や飛砂防備林に関する記述があるようですが、特に江戸時代になってから海岸砂丘地に砂防林として松原の造成が行われました。それには当時、飛砂害(ひさがい)が深刻になっていたという背景があります。

クロマツが海岸に適している理由をまとめてみました:

  • 常緑針葉樹は、落葉広葉樹より乾燥に耐える性質が強い。
  • 成長が早い。主軸は1年に70センチ伸びる。
  • 塩の害に強い。葉の内部構造が水溶性物質の流動を抑え、海水の塩分が入らないようにする。葉が細いので、風に運ばれてくる砂が地面に落ちやすい。
  • 地中深くまで根が伸び、大きく広がる。
  • 全体が傘を広げたような形になり、日光を受けやすい。
  • 葉は2枚または1枚(クロマツという分類が更に下位に分類できるようです)。

海岸の松林は第二次世界大戦中に荒廃し、飛砂害が深刻化したため、戦後になって砂防植林が全国的な事業としてすすめられたおかげで、1960年代末頃に現在の海岸林の状態ができあがったそうですが、問題はその後も続いています。

クロマツ海岸林も植林しただけでは十分に維持できず、過剰な密集、病虫害、広葉樹林の侵入など様々な問題への対策が必要であることがわかりました。

広葉樹は海岸には適さないはずなのに、なぜ侵入できるのでしょうか?それは、クロマツが増えることによって松林の内陸側が肥沃になるからだそうです。

松林が衰退する原因や状況に合わせ、各地で海岸防災林再生の活動が行われています。

ところで「お宮の松」は松林の中にありませんよね。周辺はどうなっているのでしょうか?

 

お宮の松のある場所「お宮緑地」

お宮の松があるのは、熱海海岸の中でも、国道とサンビーチに挟まれた「お宮緑地」と呼ばれる緑地ゾーンで、松林ではありません。

この「お宮緑地」が完成するまではどうだったのでしょうか?

「お宮の松」は初代の頃から1本だけで、周りに松林はなかったようです。

江戸時代に盛んだった松林造成は、熱海でも行われたのでしょうか?

はっきりした答えが見つからないので、当時の風景画を調べてみました。

1681年(天和元)年に描かれた『豆州熱海絵図』は、熱海を詳細に描いていますが、残念ながら海岸の様子がよくわかりません。ただ、岩が突き出した部分はリアルに描かれているので、あいまいな部分は砂浜ということだと思います。そこに木はありません。

また、他の絵や写真を見ても、松林は見つかりませんでした。

名勝八景 熱海夕照
国立国会図書館デジタルコレクションより-
豊国作
『名勝八景 熱海夕照』
制作年不詳

日本名勝旧蹟産業写真集
国立国会図書館デジタルコレクションより-
西田繁造編
『日本名勝旧蹟産業写真集-奥羽・中部地方之部』
大正7年出版

ところが、『金色夜叉』の挿絵のひとつに松林が描かれているものがありました。(著作権フリーの画像がなかったので『港区ゆかりの人物データベース』というサイトからご覧ください)

尾崎紅葉と交流の深かった武内桂舟(たけうちけいしゅう)の作品ですが、貫一の後ろに松林が描かれています。でも・・・

松林の根が波をかぶりそうなぐらい、海と松林が近すぎて、なんとなく現実味に欠けるような。。。まあ、挿絵なので物語の中での熱海海岸なのかもしれません。

明治時代の絵師・山本光一の作品に熱海海岸部が描かれているものがいくつかありますが、松は点在するような感じで、初代お宮の松が1本だけそこにあったとしても不思議ではない風景です。

熱海市ホームページ(山本光一『熱海八景』の掲載ページ)

個人的な推測ですが、熱海では松林を造成する必要がなかったのではないでしょうか。江戸時代の松の植栽の目的が防砂林としての利用であれば、飛砂の害がない場所では、多くのお金や労力をかけて松林を作らなくていいわけです。

熱海は小さな湾のような形で山に囲まれているという地形的条件によって、強風から守られて飛砂の害がなかったのかもしれません。

熱海には砂浜がなく、岩場だけだったからというのも考えられますが、明治時代には砂浜が広がっていたと書いている資料もあるので、砂浜はあったけれども、松林なしで大丈夫だったので作らなかったのではないかと勝手に想像します。

また、昭和に入って海岸線の埋め立てが進められて、現在は全て人工砂浜だそうです。

お宮緑地には、2014年(平成26年)に「ジャカランダ遊歩道」が完成して、お宮の松とジャカランダ並木のコラボにヤシの木もミックスされた、オリジナリティ溢れるエリアになっています。

お宮の松の独白という手法といい、熱海市は町の雰囲気を盛り上げる演出が上手ですねえ。

ジャカランダの紫色の花が咲く6月にフェスティバルも開催されます。

ジャカランダ:南米産のノウゼンカズラ科の木で、紫色の花をつける。

ジャカランダ遊歩道
熱海市フォトライブラリーより-
ジャカランダ遊歩道

『金色夜叉』の方は、貫一・お宮の別れのシーンが1月17日の月の夜だったことから、1月17日に「尾崎紅葉筆塚祭」と「尾崎紅葉祭」が開催されます。

「湯宿一番地」敷地内にある筆塚には、尾崎紅葉が生前使用していた筆が祀られているそうです。

 

ちょっと寄り道

熱海では、お宮の松のように日本の伝統的な木の姿を描いているものもあれば、異国情緒の溢れるヤシの木も並んでいます。

熱海のヤシの木
熱海のヤシの木
(2016年2月撮影©MY)

父が送ってくれたヤシ並木の写真です。これだけ見ると、ハワイ?

ヤシにもいろいろな種類があるはずなので、これはどの種類なのか・・・「背の高いヤシの木」で検索していったところ、「ワシントンヤシモドキ」という種類のようです。

それにしても背が高い!

熱海市の木は熱海桜(アタミザクラ)、熱海市の花は梅ですが、熱海桜は寒緋桜(カンヒザクラ)と山桜(ヤマザクラ)の交配種だそうです。1871年(明治4年)頃イタリア人によって、レモン・ナツメヤシとともに熱海にもたらされた品種ということですが、開花時期が1月、開花期間が1か月と、驚かされることばかりです。

梅の方はどうかと言えば、人気スポットである熱海梅園が1886年(明治19年)に開園しているので、市の木と花に選ばれているのも納得できます。

ちなみに熱海の梅も日本一早咲きらしいですよ。もしかして今が見ごろでしょうか?

多種多様な木と花が溢れる熱海で、松は少数派のようです。貴重な「お宮の松」はエキゾチックな木や草花に囲まれて、熱海の有名な景観を作り出しているんですね。

 

お宮の松と熱海の移り変わり

お正月の門松』で、門松では松は歳神様の依代、『まさに「けやけき木」、弥彦の「蛸ケヤキ」』で、高砂神社の相生の霊松(あいおいのれいまつ)は尉(じょう)と姥(うば)の2神(イザナギとイザナミと考えられている)、というように、松と神様の結びつきを知ったのですが、「お宮の松」は松との接し方が全く異なります。

「お宮の松」は、『金色夜叉』という小説の人気と熱海の大衆観光化の中でこの名前が付いたのですから、もし海岸にあった木が松でなかったとしても「お宮の・・・」と名前が付いていたのかもしれません。

また、2代目を見つけるという過程においては、神秘性は必要なく、見た目の素晴らしさが一番重要であると同時に、輸送で困らない場所にあるというのも選択基準となっていました。

さて、熱海は『金色夜叉』によって一般大衆の人気観光地となりましたが、ここで忘れてはいけない熱海の特徴と言えば温泉ですよね!

熱海の温泉としての最古の記録は鎌倉時代に遡るそうですが、大きな発展は、徳川家康が熱海の温泉を気に入ったことに始まるそうです。その後、温泉の名所として知られていきますが、交通が不便だったこともあり、『金色夜叉』の書かれた時代には、皇族、政治家や文化人といった一部の人々の保養地だったのです。一般大衆の温泉観光地となったのは、丹那(たんな)トンネルの開通(1934年)によってアクセスが良くなってからだそうです。

その後の熱海は、バブル崩壊後(1990年代)から衰退し続けた後、最近ではその危機を乗り越えてV字回復していると言われています。実際はどうなのかまだわからないと思いますが、2010年頃から町の現状チェックに基づく活性化計画・都市計画を作って、それを推進している点では、かつての受動的な変貌から脱け出して、主体的な展開に変わったようです。それには温泉の町という熱海の原点がベースになっています。

『金色夜叉』も、主人公の生きた時代は今では遠い昔のことですが、お金と恋愛というテーマによって時代を超えて親しまれる(小説を読まなくても・・・!)物語です。つまりその部分は変わらないので、登場人物の服装や持ち物を変えるだけで現代版が作れるという普遍性がありますよね。

こうして貫一とお宮の世界は、温泉街の発展と衰退、そして再興という流れと一体化して、時間とともに発展しているような感じがしないでしょうか。

松が代替わりしても、周辺の海岸風景や町がどんどん変わっていっても、「お宮の松」は、熱海の温泉地としての歴史や文化を伝えていく、温泉観光地である熱海の地域アイデンティティーの象徴のように見えます。

熱海港
熱海港(2016年2月撮影©MY)

 

旅のアイデア

熱海温泉や海とは逆方向になりますが、熱海市内に巨樹があることがわかりました。

來宮神社(きのみやじんじゃ)の「大楠」です。
樹齢がなんと2000年以上!太さが全国2位。
しかも2本もあるんですよ。そのうちの1本が御神木になっています。

国の天然記念物に指定されていますが、名称は、「阿豆佐和気神社(あずさわけじんじゃのおおくす)の大クス」となっているので、データベースではこの名称で検索するといいですよ。

熱海の樹木でもう1本気になるのが、伊豆山神社(いずさんじんじゃ)の神木「梛(ナギ)の木」です。
この神社は源頼朝と北条政子の逢瀬の場だったそうで、政子は梛の葉に二人の名前を刻んで手鏡の下に置いて祈っていたと伝えられています。
鎌倉時代幕開けの主人公夫婦にこんなエピソードがあったなんて、微笑ましいですね。

また、アカオハーブ&ローズガーデンには世界最大の盆栽があるそうです。

 

今回の旅を振り返って

私は2013年に熱海に1泊したことがありますが、熱海城に行った後で雨に降られてしまったので、「お宮の松」は見に行きませんでした。今回この松について調べることになり、そこから早咲きの梅や桜、來宮神社や伊豆山神社のことも知ることができました。

熱海は駅も2016年にリニューアルされて、これからも新しい空間や建物の占める割合が増えていくようですが、そうした変化の中で、歴史のある「お宮の松」の果たす役割は益々大きくなっていくことでしょう。

熱海のことをほとんど知らない人間が、熱海についてあれやこれや書いて申し訳ないですが、益々魅力を増して発展していくことを期待しています!

実際にまた旅をする機会があったら、「お宮の松」も含めて、前回見れなかった場所や新しくできたものを見に行きたいと思います。

熱海城
熱海城(2016年2月撮影©MY)

この記事を読んでいただいてどうもありがとうございました。

 

主な出典(順不同)(本文内に入れたものは省略してあります):

熱海市ホームページ・あたみニュース
SPinfo
ぶらっと旅へ
あたみのまんなか
木の情報発信基地
みんカラ
森林・林業学習館
マツはなぜ海岸に多いのか
中島勇喜『森林の力が暮らしを守る。海辺の最前線に生きる、海岸林の可能性』
環境省・皇居外苑・クロマツ
多摩森林科学館
熱帯植物館
静岡・浜松・伊豆情報局
文化庁・国指定文化財等データベース
都道府県市町村シンボル
熱海まち歩きガイドの会『あたみ桜と河津桜は、どう違うの?』
熱海ネット新聞2014年4月19日記事
熱海ネット新聞2016年1月17日記事
熱海市建設部まちづくり課都市デザイン室『熱海まちづくりビジョン』
国土技術政策総合研究所『第 1 章 海岸管理の歴史的変遷』
太田猛彦『海岸林形成の歴史』
梅津勘『樹木医学の基礎講座 海岸林講座第1回:日本の海岸林の成り立ちと推移-庄内海岸林を中心に─』
法政大学大学院デザイン工学研究科紀要Vol.3(2014年3月)駒井穂乃美『地形から読み解く熱海温泉の空間構造』