まさに「けやけき木」、弥彦の「蛸ケヤキ」

新潟県 弥彦村 (にいがたけん やひこむら)
弥彦神社の末社 住吉神社(すみよしじんじゃ)
「蛸(たこ)ケヤキ」

県指定天然記念物
樹齢800年以上とされる(資料によっては1000年以上)。
樹高約30m。幹周約8m。

蛸ケヤキ
弥彦神社の末社住吉神社の蛸ケヤキ(2016年11月撮影©MY)

出発

皆様、こんにちは。

2018年が皆様にとって良い1年になりますようお祈りいたします。

さて、父から送ってもらった木の写真の中から、今回は冬の季節に合った写真を選びました。

新潟県西蒲原郡弥彦村(にしかんばらぐんやひこむら)にある
弥彦(彌彦)神社の末社(まっしゃ)のひとつ住吉神社の蛸ケヤキです。

11月の撮影で葉が落ちているので、ケヤキが落葉樹だということがわかりやすくていいかもしれません。

鳥居が前にあるので、ケヤキ自体が神社なのかな?と思わせる、不思議な構図だと思いませんか?

では、1本の木から始まる発見の旅へ、出発!

 

ケヤキってよく聞くけど、どんな木なのか知らない

落葉樹だということは写真でわかりましたが、幹や葉を見てケヤキだとわかる特徴はあるのでしょうか?

小豆島・宝生院のシンパク(イブキ)のように針葉樹だと葉の識別さえ難しいですが、広葉樹なら葉は観察しやすいはず。ただし形が似ている葉を持っている木は多いんじゃないかな?なとど思っていると、素晴らしい検索サイトを発見!「樹木検索図鑑」(企画:千葉県立中央博物館、製作:斎木健一氏、天野誠氏、ビジオ氏)。名前が既にわかっているので、ケヤキの特徴を調べるのに使わせていただきました。

分布情報、材木としての利用、名前の由来など、他のサイトも参照してまとめてみました。

名前:ケヤキ(欅)Zelkova serrata
別名:ツキ(槻)
分類:ニレ科ケヤキ属
平均的な高さ:20メートル~30メートル。
分布分布範囲が狭い。東アジアの一部、日本の本州、四国、九州の丘陵地帯や山地に自生。

:長細い楕円形で先がとがっていて、葉の周りがギザギザしている。
長さが3~14センチと、葉によってかなり違うらしい。色は明る目の緑(写真で見た感じ)。
真ん中に太い葉脈1本あり、そこから外側に向かって太めの葉脈がいくつも均一に並んでいる。
また、葉はざらざらしているので、乾燥させて紙ヤスリの代わりに使えるそうです。

樹皮:これにはビックリ!若い木と樹齢の進んだ木では、全然違う木のように見える。若い木の樹皮はグレーのような色合いで、でこぼこした黒っぽい横線のようなものがたくさんある(皮目というそうです)。
樹齢が進んだ木は、樹皮がボロボロと剥がれている。剥がれていって、最後はどうなるのでしょうか?

:雌雄同株(しゆうどうしゅ)と言って、雌花と雄花が同じ株につくもの。「株」は、ケヤキの場合は木なので、1本の木に雌花と雄花がつくということだと思う。開花時期は4月~5月。

:そう果(薄くて皮に種が包まれている)。5mm位の偏球形で枝ともに落ちる。
果期:10月頃。

木材として
重硬で、強い。建築、家具、太鼓の胴、臼・杵、彫刻など、用途が広い。
色は、オレンジ系または黄色系で明るく薄い色、磨くと光沢が出る。
木によって木目模様に大きな個性が出る。

「ケヤキ」の名前の由来
「けやけき木」、「目立つ、ひときわ優れている、顕著な木」という意味とのこと。
「ツキ(槻)」の方は、別名というより、万葉集では「ツキ」が使われていて、「ケヤキ」の方がその後に発生したようです。「ツキ」は木が強靭なことから「強木」が由来になっているそうです。

見られる場所

  • 神社やお寺、都市でも並木として植えられている。
    東京都の明治神宮表参道のケヤキ並木、東京都府中市の馬場大門のケヤキ並木(大國魂神社おおくにたまじんじゃの参道)、埼玉県のさいたま市から所沢市までの国道463号のケヤキ並木、宮城県仙台市定禅寺通り(じょうぜんじどおり)のケヤキ並木など。
  • 線路を守るための鉄道林として鉄道沿線に植えられていることがある。
  • 清水寺の舞台の柱に使われている。
  • 耐久力があり、音の反響がよく、また木目が美しいので和太鼓の胴の部分に使われる。
  • 昔は電柱に使われていた。

 

なぜ「蛸ケヤキ」という名前なの?

大枝が伸びて広がり大蛸の八本足のように見えることから、この名がついたそうです。

ただ、老木で枝が弱ってしまったため、何本か切られて、今は大枝は5本ぐらいのようですが、このように大きな枝が何本もある木は、他の角度から見ると、ずいぶん雰囲気が違います。鳥居の斜め後ろの方から見るとこんな感じです。

弥彦の蛸ケヤキB
別の角度から見た蛸ケヤキ(2016年11月撮影©MY)

中太の枝は切られてしまったのでしょうか、太い枝からいきなり細い枝になっているようにも見え、非常に個性的な形です。個人的には、現代アート風に鑑賞したいような気もします・・・鳥居や祠が写っている部分を加工するのは恐れ多いので、木の部分だけモノクロにみました。

弥彦の蛸ケヤキblack1
弥彦の蛸ケヤキblack1

弥彦の蛸ケヤキblack2
弥彦の蛸ケヤキblack2

弥彦の蛸ケヤキblack3
弥彦の蛸ケヤキblack3

他のサイトでは葉が茂っている時期の写真も見られるので、比べると面白いですよ。

 

「蛸ケヤキ」と神社の関係

さて、「蛸ケヤキ」はアーティスティックな形もさることながら、最初に書いたように、鳥居の奥に木があるという不思議な配置で、まるでこのケヤキのために神社が作られたような印象を受けます。

ちなみに、神社の名前は住吉神社で、弥彦神社(彌彦神社)の末社(まっしゃ)ということなのですが、末社とは何でしょうか?

神社本庁のサイトによると、神社の境内にある小さな社で本社の管理下にある神社を摂社(せっしゃ)または末社(まっしゃ)と呼ぶそうで、戦前は御祭神や由緒によって摂社と末社を区別基準があったとのことです。
現在は、祀られている場所が境内地内か境内地内かで摂社と末社を区分することもできるそうです。詳しくは神社本庁の神社のいろはのページ-境内の小さな神社について-でご確認ください。

弥彦神社には境内の中に摂社と末社があり、外にも住吉神社を含めて複数の末社があるので、大きな神社の構成の仕方を学びやすいと言えるかもしれません。

たしかに、神社の中に小さい神社があるのって割とよく見かけますね。そこで思い出したのが京都の清水寺。こちらはお寺なのに本堂のすぐ近くに地主神社がありますよね。

このように複数の神仏を一つの敷地内にお祀りする構成というのは日本独自のものなのでしょうか。

キリスト教のカトリックの教会の中には、主祭壇のほかに複数の祭壇があって、それぞれ異なった聖人に捧げられていることがあります。聖人には守護聖人という概念や信仰があって、健康(治癒)、職業、地域などを守ってくれるということなのですが、日本の神社やお寺にそれぞれのご利益を願ってお参りする感覚に似ているように思います。

さて、「蛸ケヤキ」と住吉神社の関係がまだわかりません。この住吉神社は、突然の水難からの加護を願い住吉三神が祀られているとのことです。

「蛸」、「水」、「神様」・・・なんとなくつながってきたような気もします。住吉三神について調べてみましょう。

 

住吉三神は海の神様

調べた結果をまとめると次のようになります。

・住吉三神(すみよしさんしん)。住吉大神(すみよしおおかみ)とも呼ばれる:底筒男命(ソコツツノオノミコト)、中筒男命(ナカツツノオノミコト)、表筒男命(ウワツツノオノミコト)の総称。

表筒男命は上筒男命の表記もある。

 日本神話では、住吉三神は、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が黄泉国から帰って海に入って禊(みそぎ)を行った時に海中で生まれた。

住吉神社は全国に約2300社あり、その総本社は大阪の住吉大社です。地名も大阪市住吉区住吉!

蛸ケヤキのある住吉神社の御祭神(ごさいじん)は住吉三神ですが、大阪の住吉大社では住吉三神のほかに神功皇后(じんぐうこうごう)も御祭神として祀られています。

従って、大阪の住吉大社の神様についての情報を調べるときは、この点に注意する必要があります。

大阪の住吉大社の神様:

禊の神・航海安全の神:住吉大神は禊のときに海中で生まれたことから。

和歌の神:住吉大神が現れて和歌を通じて託宣(たくせん)するという話がいくつもあることから。和歌によく出てくる(歌枕)「すみのえ」というのは住吉の昔の名前で、「住江」や「墨江」などの書き方になっていったようですね。

農耕・産業の神:住吉大神が草を敷かずに苗代を作る方法を教えたことから農耕の神となったそうです。でも「草を敷かずに苗代を作る」という意味がよくわかりません。
他のサイトをいろいろ見てみると、播磨国風土記の記述に由来していることがわかりました。
播磨国風土記の話:現在の兵庫県加西市河内の里に住吉大神が訪れ、神様の食事の時に村人が集めていた草を敷き詰めました。しかしこの草を苗代に使うつもりだった所有者が困ってしまい、それを神様に伝えました。すると神様は、ここでは草を敷かなくても苗が育つと言って、その通りになったそうなのです。それまでは苗代に草を敷いていたんですね。

弓の神:神功皇后の新羅出兵(三韓征伐さんかんせいばつ)の話と、神功皇后が大阪の住吉大社に警護のために土師弓部(はじのゆみべ)16人を置いたことがもとになっているようですが、土師弓部とは何かはわかりませんでした。土師(はじ)氏の弓の担当部署?

相撲の神:かつての住吉大社年中行事に由来しているようです。

最初は海の神・禊の神として信仰の対象となって、その後、和歌の神などとしても祀られるようになったと考えていいようですね。

ちなみに神功皇后は、小豆島・宝生院のシンパクを植えたとされる応神天皇の母で、九州を中心に数多くの伝説が伝わっているそうです。

なお、三神の名前-底筒男命(ソコツツノオノミコト)、中筒男命(ナカツツノオノミコト)、表筒男命(ウワツツノオノミコト)-の最初の漢字「底」、「中」、「表(または上)」は、それぞれの神が生まれた海の深さのことを示しているのだそうです。つまり底筒男命(ソコツツノオノミコト)は海底で生まれたということですね。

名前の2番目の漢字「筒」については、原見敬二著『古事記に見る海事思想』(PDF)では、「ツツ」は「ツチ」のことで、「ツ」は助詞、「チ」は尊称であることの他に、有力な2つの説が挙げられています。1つ目は「筒」は船の中央に立てる柱のこと。2つ目は、「筒」は「星(ツツ)」のことで、底・中・上はオリオン座を代表する3つの星で、それが航海の指標として使われていたそうです。

弥彦の蛸ケヤキのある住吉神社は御祭神は、水難から守ってくれる住吉三神をお祀りしているので、住吉三神の「水」に関する面との関連性をもう少し探究してみようと思います。

『新潟県:歴史・観光・見所』というサイトの「弥彦の蛸ケヤキ」のページで、「欅の幹を取り囲むように玉垣が設けられている事からも欅自身が神格化され信仰の対象になっていたと思われます。」とあります。

水難から守るというのは、航海や漁での安全ということのほかに、海だけでなく川や湖なども含めての水辺でのあらゆる事故から守るということかもしれません。

人々はケヤキの形に大蛸のイメージを重ね、海の主であるかのような蛸の前に祠を建てて海の神様のご加護を願ったのではないかと考えます。

弥彦に蛸にまつわる伝説がないかどうか調べてみましたが、見つかりませんでした。

 

明訓校の校内にあった祠(ほこら)

祠は、明訓校の校内に建立されてから校内神社となっており、明治28年(1895年)に廃校になった際に、住吉神社の氏子有志が譲り受けて今の場所に移したと伝えられています。

校内に祠を建立するというのは、今では考えられないと思うのですが、どういった経緯でそうなったのでしょうか?

新潟県立文書館のサイトに貴重な情報が公開されています。初代校長は国学者の大橋一蔵(おおはしいちぞう)氏で、なんと明訓校は弥彦神社禰宜(ねぎ)鈴木家の土蔵を校舎としてスタートしたそうです。禰宜というのは神職のひとつのようですね。

開校が明治13年(1880年)で、3年後の明治16年に弥彦神社北東に洋風建築の校舎ができ、現在は校舎はなく石碑があるそうです。

つまり明訓校は弥彦神社の一角にあったようなものなのですね。

明訓校は後に県立校となり、財政悪化による廃校と再開を経て、生徒数減少によって最終的に廃校になってしまったわけですが、「明訓」の名は新潟夜間中学校、続いて野球強豪校である新潟明訓高等学校に引き継がれ現在に至っています。

注:出典は、新潟県立文書館のサイトの中の越後佐渡ヒストリア『第29話~来たれ!生徒諸君~弥彦の明訓学校』のページですが、リンクURLが長いので、新潟県立文書館のトップページのURLのリンクを貼っておきます。

更に調べていくと、現在の新潟明訓高等学校も弥彦神社とつながりがあることがわかりました。

昭和27年(1952年)に世界平和を祈って弥彦神社と新潟明訓高等学校とが学校林設定契約を結び、弥彦神社が所有する山林に生徒たちがアカマツ約9000本を植樹したそうです。
このアカマツの育成と保護は神社と学校が協力して行い、2002年に伐採して神社と学校が受け取る内容の契約だったようですが、その後の情報が得られませんでした。

ただ、弥彦の丘美術館の入口すぐ近くに「新潟明訓高等学校学校林」という標柱があるそうなので、伐採はされておらず、保護が続けられているように思われます。

弥彦神社と明訓は学校の組織が変わっても、強いつながりを持ち続け、そこに「蛸ケヤキ」や「学校林」という「木」が存在していることに不思議な縁が感じられます。

 

ちょっと寄り道

前回の記事「お正月の門松」で、兵庫県高砂市(たかさごし)の高砂神社の相生の霊松(あいおいのれいまつ)について調べました。
この松は一つの根から雌松(アカマツ)と雄松(クロマツ)の幹が出て、尉と姥の2神が現れて夫婦の在り方を示すためこの松に宿ると告げたことから、この呼び名がついたそうです。

能の演目『高砂』では、播磨国(兵庫県)高砂にある高砂の松と摂津国(大阪府)の住吉にある住の江の松とが一つの根から成っている相生の松であり、主人公は高砂から住吉へ向かい、そこで住吉明神が現れて平和な世を祝福します。

 

弥彦村は木の好きな人にぴったりの場所

蛸ケヤキは昭和27年(1952年)から県指定天然記念物に指定されていますが、『弥彦村』のサイトによると、弥彦には他にも県指定天然記念物の「弥彦の婆々スギ」や「弥彦参道スギ並木」というのがあるそうです。

「木を見て森を見ず」ではないですが、蛸ケヤキやその他の天然記念物だけでなく、弥彦村全体について見てみましょう。

弥彦村は樹木に覆われた弥彦山(634m)の麓にあり、自然に恵まれた土地なのですね。11月には新潟県森林まつりも開催されます。

弥彦神社も森の中にある感じですし、近くに城山森林公園という樹木の宝庫のような場所もあります。

実は私も弥彦神社に行ったことがあるのですが、雨がかなり降っていたので、ゆっくり散策することができず、蛸ケヤキがあることにも気が付きませんでした。

でも木の存在感がとても感じられる場所でした。たくさんあるからというだけでなく、それぞれの木に個性があって、それが雨という天の恵みを受けて新鮮な緑の呼吸をしているような感じでした。森林浴というのはこういうことなのでしょうか。

弥彦神社で見かけた木の根
弥彦神社で見かけた木の根(2009年8月撮影©KY)

また、この記事では写真を掲載できませんでしたが、境内にある御神木は椎の木で、弥彦村のサイトによると「御祭神が携えられた椎の杖を地中に挿され、この地が自分の住むべき土地ならば繁茂せよ、と仰せられたところ、芽を出し根をはり、たちまち大木になったと伝えられています。」とのことです。

弥彦神社(通称:おやひこさま)の御祭神は天照大御神(アマテラスオオミカミ)の御曾孫にあたる天香山命(アメノカゴヤマノミコト)で、神武天皇から越後国の開拓の命を受けて、海水から塩をつくる技術、漁業、稲作、酒造りなどを住民に教えたとされています。

弥彦神社の玉の橋
弥彦神社:神様が通る橋、玉の橋(2009年8月撮影©KY)

神武天皇は日本の初代天皇とされる人物なので、住吉大神や神功皇后(第14代天皇である仲哀天皇の皇后)の時代より更に古い時代のことですね。
宮内庁の天皇系図によると、神武天皇の在位は紀元前660年から紀元前585年です。
紀元前660というと縄文時代ですよね?

そんな太古の時代にまで遡る歴史のある弥彦。かわいい鹿もいるので、また行きたい場所です。

弥彦神社の鹿
弥彦神社の鹿(2009年8月撮影©KY)

 

今回の旅を振り返って

これまでの記事もそうでしたが、木について調べているのに、どんどんと神話の方に話が進んでいってしまいます。調べるのがかなり大変です。
こんなことになるとは全く思ってもみませんでした。神話や伝説なので、いろいろな説があり、調べた結果をどのようにまとめていったらいいのか悩みます。

でも、今までは神社にお参りに行っても、御祭神について考えたこともほとんどなかったので、また新しい視点から見れるようになりました。

「蛸ケヤキ」は、落葉した時期だと葉の様子がわからなくなってしまいますが、蛸の足のように広がった枝を見るにはいいですね。

全国にある様々な大ケヤキの写真もネットで見ましたが、それぞれ幹や枝ぶりが個性的で、確かに落葉した時にこそ、その持ち味が目立つ、「けやけき木」が名前の由来だというのがよくわかりました。

もしかして父はそれで11月に蛸ケヤキを見に行ったのかも?

それにしても、木に海の動物の姿を見出す人間の想像力ってすごいなと思いました。

夜になって風が吹いたりすると、枝がざわめいたりして、その独特のシルエットが更に大きな存在感と迫力を見せるんでしょうね。

この記事を読んでいただいてどうもありがとうございました。

主な出典(順不同)(本文内に入れたものは省略してあります)

弥彦浪漫パワースポット
植木図鑑ウィキペディア
木材図鑑
森林・林業学習館
清水寺よだん堂
太鼓の里・新・浅野
月刊杉WEB版
全国有名仏壇店ネット
日本木材総合情報センター
新潟県都市緑化センター
人文研究見聞録
住吉大社
住吉大社吉祥殿
銕仙会
文化デジタルライブラリー
the能com
月刊京都史跡散策会第38号
大阪市立図書館
古代の加西と播磨国風土記(PDFのリンクが貼れないようですが、かさい観光の資料のようです)